評価:
人の外面と内面は印象が違うものである。
先生とKは、二重に心が屈託している。
先生は財産を誤摩化された叔父に対する恨みと、
親友のKを裏切った後ろめたさがある。
Kは養家を裏切った負い目と、
自分の理想と現実の違いに対する絶望がある。
またKの両者の気持には関連性がある。則ち、
Kは思想的、宗教的に理想を追い求めた。
そのため、養父と約束した医学科ではなく、
(おそらく)哲学科に嘘を付いて入学した。
その確執、気持ちの滞留のせいで、
ますます自分の理想に固執せざるを得なかった。
小説の中では、こう書かれている。
長くなるが、重要な箇所なので引用しておこう。
「その頃は覚醒とか新しい生活とかいう文字のまだない自分でした。然しKが古い自分をさらりと投げ出して、一意に新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。(中略)前後を忘れる程の衝動が起こる機会を彼に与えない以上、Kはどうしても一寸踏み留まっている過去を振り返らなければならなかったのです。そうすると過去が指し示す路を今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人の有たない強情と我慢がありました。」
では、先生の心持ちは、どうか。こう書いてある。
「私がこの牢屋の中に疑としている事がどうしても出来なくなった時、又その牢屋をどうしても突き破る事が出来なくなった時、畢竟私にとって一番楽な努力で遂行出来るものは自殺より他はないと私は感じるようになりました」
両者とも、うずくまるような感じがあるんだなぁ。
最後に、小説の肝となるような箇所を抜粋しておこう。
「自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わなくてはならないでしょう」
「悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいんです」
「然し眼だけ高くって、外が釣り合わないのは手もなく不具です。私は何を措いても、この歳彼を人間らしくするのが専一だと考えたのです。いくら彼の頭が偉い人の影像で埋まっていても、彼自身が偉くなって行かない以上は、何の役にも立たないという事を発見したのです」
「例の問題にはしばらく手を着けずにそっとして置く事にしました。こう言ってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の過程には、潮の満干と同じように、色々の高低があったのです。(中略)そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭な偽りなく、盤上の数字を指し得るものだろうかと考えました。要するに私は同じ事をこうも取り、ああも取りした揚句、漸く此処に落ち着いたものだと思って下さい」
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