評価:
3つほど感想がある。
ひとつは、日本と西欧の関わりについての記述だ。
「だから、アジア人のたれのなかにも、照明具としての「欧米」はある。
たとえば、私のような者でも、日本史を考えるときも、必然的に「欧米」の白地図を横に置いているらしい。その「欧米」は、手づくりのしかも観念的なもので、実在の欧米ではない(実在の欧米は、照明具として役に立たない)」
ふたつめ。著者のアイルランド人への共感である。
その愛着から、アメリカが描かれている部分が引き立っている。
みっつめ。
アメリカは、時代に合わなくなったものを、
簡単に捨ててしまうという指摘。
1) フィラルディルフィアは、19世紀から20世紀半ばまで、造船・造機などで盛り上がったが、機能を失った都市として、廃品当然となっている。
2) ニューヨークは、1960年頃まで平和であった。
3) ハーレムは19世紀末は、ニューヨークの高級住宅地であった。
4) 品質管理は、第二次世界大戦下のアメリカの御家芸であった。戦争に必要な兵器、機材などにばらつきがあっては、戦いに影響が出るだめだ。しかし戦争が終わると、法や監督による規制は捨てられ、企業ごと自由にまかされた。一方、日本には、品質管理の大切さが残り、わが国の文化のようになった。
その他、大切な文章を写しておく。
「その国を見るには、まず原形(あるいは原質)をとりだして、現状と照合するのが、作業の諸段階だと私は思っている」
「文明は大陸の多民族国家でおこるものだから、孤島に住む日本人は、それをみずから興すことを半ばあきらめている。むしろ、受益者になろうとしてきた。ただし、みずからを失うまで受容したことは一度もなかった。
たとえば日本はかつて中国文明から受容した。唐代―奈良朝時代では、詩文と仏教を学び、宋代―鎌倉時代では朱子学と禅をふくむ思想をまなんだ。その多くは書物を通じての接触で、中国そのものになったり、追随したりしたことは一度もない。元、明、清の中国については、日本は、中国文明はすでに衰弱したものとみて、関心を薄らがせた。アメリカに対しても、
一見追従してみえるかもしれないが、この態度を文明への固有の尊敬心として解釈してもらえまいか」
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