評価:
1928年7月25日、広大な中国領土の保全という遵法主義的な考えに駆られたアメリカは(実際に遵法の意思があったかどうかは別にして)、
蒋介石の「中華民国」が存続しうる中国の政権になるだろうと判断し、蒋介石を中国全土の代表である、と認めた。
そして、1930年代、日本が中国に進出して、傀儡政権の満州国を建設し、華北五省(河北、チャハル、スイエン、山西、山東)を支配し、さらに、1939年後期には汪兆銘を首班とする「南京国民政府」を樹立するにいたると、アメリカは、当時、重慶に撤退して傀儡政府をおいていた蒋介石こそが、唯一の中国政府であると断固主張した。
しかし、当時の記録を見れば分かるように、もし日本がこうした傀儡政権に働きかけて、アメリカ企業にも日本企業と同じ権益を認めさせていれば、アメリカはいずれ満州国も南京政府も喜んで認めたであろう。
というのも、アメリカは日本に突きつつけたいくつかの要求のなかで、中国の「領土保全(すなわち一つの中国)を第一に掲げていたが、アメリカの本音は「自国のすべての既得権益をそのまま保持し、それを一片たりとも損なうことは断じて認めない」ということだったからだ。
(ジョン・J・タシクJr)
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