評価:
天明2年(1782)、
不作に追い打ちをかけるように、浅間山が噴火し、
とりわけ南部、津軽、仙台での餓死者は夥しかった。
いわゆる、天明の大飢饉である。
一説では(高校の日本史の教科書にも書かれているが)
餓死者は、300万人と言われている。
だが、本書では、この数字は離散、蒸発も入れた数字
であると推測している(小生も、同感である)。
海保青稜は、徳に基づく儒教的な王道政権には否定的である。
一方、法律に基づく経済の合理的に運営する覇道政権を肯定した。
藩の商社化を提唱した。
財政が逼迫した加賀藩に主張したことは3つ。
1)論語などの学問より、すばやく計算すること
2)無用の煩法をなくし、簡法に変えること
3)先代の家格のままにせず、現状に合った家格とすること
山片蟠桃の「夢の代」には、
「株ヲ守ベカラズ」(過去の事例を絶対化して、それのみを守ってはいけない)という言葉が頻繁に出てくる。出典は「韓非子」。
インフレの時は、
要は、市場に流れる商品を増やさなければならない。
政府の低物価政策は、一見、正しいように見えるが、
強行すれば、供給が減るわけだから、逆に物価が高くなる。
一方、政府が米を高値で買い取れば、市場への供給が増え、
需要は減り、物価が下がる。
たとえば、こういう言い伝えがある。
豊臣秀吉は、飢饉のとき、米を買い占めた。
諸士がお粥を食い、庶民が粟稗を食べるような状況になった時、
蔵を開き、徐々に米を放出した。その結果、餓死者が一人も出なかった。
これは、需要が減れば、物価が下がる例だろう。
*先物取引きの説明は理解出来ず。
本多利明は、「四大急務」を提唱している。
第一焔硝、第二諸金、第三船舶、第四蝦夷地開拓。
彼は、開国論者であり、
消費物資の輸入は、消費物資の輸出でまかなう重商主義を唱えた。
なお、幕末から明治への移行期において
大きな影響力を持った横井小楠や由利公正は、
青陵、蟠桃、利明と類似点が多い。
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