評価:
単に、形式で、ひと括されてしまうことに、
意義を唱えている夏目漱石なら、
「三四郎」が、日本の教養小説の代表作である、
という評価に、苦言を呈するに違いない。
個人的な、違う視点で言えば、
確かに、概念上の人物であった広田先生や、
みね子と、実際に触れていく姿が
描かれているけれど、
三四郎が、最初と最後で、
成長しているとは思えないのだ。
再読してみて、
この小説の肝の部分は、
偽善と露悪について語る、
広田先生の言葉にあると思う。
広田先生の青年の時代は、
お上や親などを、立てたものだが、
時代が下ると、
当時、空気のようだったことが、
偽善に映るようになってくる。
そして、偽善に耐えられなくなると、
西欧の個人主義の輸入に伴い、
かつて、
お上や親がやっていた露悪的なことを、
一人ひとりが、
それぞれ、振る舞うようになる。
そう言う意味で、
この小説は、熊本で前時代的に生きて来た三四郎と、
東京で出会った露悪的な人たちとの関係を通じて、
抽象的に、当時の(現在でも言えると思うけれど)
日本の立ち位置を示していると思うんだ。
|