評価:
1929年から数年間、ジョージ・オーウェルは、
パリで皿洗いとして働き、ロンドンでホームレス生活を送った。
家が貧乏であった、というより、
オーウェルのジャーナリズム気質に起因していたようだ。
当時のことをルポした「パリ・ロンドン放浪記」は、
「カタロニア戦記」と同様、対象との距離の置き方が秀逸で、
オーウェルの優しさも感じられる。
「高級といわれるものの実質は、要するに従業員が余分に働き、
客は余分な金を払うというだけのことである。得するのは所有者だけで、
彼はやがて北フランスの保養所ドーヴィルのしゃれたヴィラでも買い込むのだ」(岩波書店版「P159」)
「金持ちと貧乏人のあいだには黒人と白人の場合のように違う人種同士のような何か得体のしれない根本的な違いがあるという思想が存在する。
だが実はそんな違いはないのだ。大部分の金持ちと貧乏人とを区別するのは収入だけであった。(中略)何ら本質的な相違はありはしない。(中略)それに、社会的な存在として物乞いを他の何十という社会的な存在と比較してみるなら、物乞いはじつに対照的である。特許薬の販売業者と比べれば正直だし(中略)要するに、物乞いは寄生虫であっても、おおよそ無害な寄生虫なのだ。社会から得るものは、ようやく自分で生きていくだけの
費用であって、しかも、さんざん苦労しているのだから、倫理的概念に照らしても物乞いは正しいことになる(P231)
パリで生活をともにしたロシア人のボリス、
ロンドンで出会ったホームレス、ボゾは魅力的な人物として描かれている。
「私の話はこれで終わりである」(My story ends hire)から始まる、
肩の力を抜いた文章は名文である。
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