「文学界」2009年8月号、2001年7月号

小説・古典
著者/監督or主演文芸春秋

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スメルジャコフ [2012年02月09日(木)]

評価:



司馬遼太郎といい、村上春樹といい、
歴史を端的にまとめる能力に長けている。
天才的と言っていいかも知れない。

村上春樹に関して言えば、
「ねじまき鳥クロニクル」の満州の描写や、
「1Q84」の全共闘世代の当時の学生像と、
その後のコミューン的集団に至るまでの説明は秀逸である。

藤井省三にると、作中の深田保のモデルは、
新島淳良(現在中国文学者)である可能性を指摘している。

村上春樹が高校生の時、魯迅を愛読していたことも、
藤井氏の指摘で初めて知る。

「魯迅の『阿Q正伝』は、作者が自分とはまったく違う
阿Qという人間の姿をぴったり描ききることによって、
そこに魯迅自身の苦しみや哀しみが浮かび上がってくる
構図になっています。その二重性が作品に深い奥行きを
与えています」(若い読者のための短編小説案内)

個人的には、
山岡頼弘(よしひろ)の評論に気づかされ、
納得させられた。

「フィッツジェラルドの場合もそうなんですけれど、
学生になってニューヨークに来て、都市というものを
非常に面白く体験して、でも本当に自分がそれを主体的に
選んだでいいたかということに対して、大恐慌あたりで
悩むわけですね/結局、自分が主体的に選んでいたわけでもなく、
都市によって選択肢をあたかも自分が主体的に選んでいたような
錯覚をもって与えられていたんだ、ということに気づくわけです」
(ユリイカ /1982年7月号)

村上春樹は、このような錯覚を「選択幻想」と呼び、
ギャツビーを「鏡」として、自分を映し出したとき、
自分の問題として考え始めた。

BOOK3の実質的な主人公になる牛河もまた、
「選択幻想」によって作られた人生の果てが描かれているという。

作家は、自分と違う人間像を書いて、
作家自身の悩みや、哲学的命題を浮かび上がらせるのだろうか。
読者も、作品を「併せ鏡」にして、
同様のことが浮かび上がってくるのかも知れない。


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