評価:
「こころ」を改めて読む。5回ほど読んいるだろうか。
「上」のはじめの、先生と主人公の出会いのシーンは、
書きっぷりが理屈っぽい。
先生と一緒に海水浴をしていた外国人が、出会いのキッカケとなるが、
なぜ、このシーンを書いたのか?
先生は、明治天皇に殉死した乃木将軍に何らかの影響を受け、最期を果たす。
いわば、前近代的な価値観と対比させるため、西欧の象徴として、このシーンを
入れたのだろうか?
このことは、私の感想ではない。誰かが言っていたことだ。
個人的には、西欧の影響云々については、うまく読み込めなかったが、
この小説では、個人の重さが描かれていることは分かる。
心は、状況により、時には耐えらええないほど揺れ動くし、
他者とは、その都合、やり取りしまければ、ならないし。
で、話は元に戻るけれど、、、
それじゃ、これが西欧化と一緒に付いてきた近代化の影響かどうか?
このテキストだけでは、やはり、そう読めないはずだよなぁ。。。
じゃ、江戸時代は、なにか「大きな物語」があって、
それに準じていれば、さほど、個人的な迷いはなかったのかどうか、
うーん、それも、何かの文献を援用しなくては、分からない。
Kが道から外れることは、そんなに苦しいことなのか?
(実際に、道を極めようとしている人は、どうなんだろ?)
それとも、親からの勘当、お嬢さんを取られたことが、
複雑に絡んで、最期を終えたのだろうか?
先生は死ぬほどの負い目を追っていたことになるが、
やはり理解を得ることができない。
心に内在しているものだったのか?
日本的な何か(武士道みたいなもの)なのか?
ま、何回読んでも、謎だらけの小説がである。
なお、「中 両親と私」の描写は読みやすい。
この章があるおかげて、最後まで読み終えると言って良いかな。
「彼岸過ぎ迄」には、子どもが亡くなるシーンがあるが、
この章の父の死と同様、
漱石は、人の死に際する描写が卓越していると思う。
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