評価:
これは名作。
長崎に密航したセバスチャン教父が、
棄教に至までの経緯が描かれています。
隠れキリシタンの拷問を見せつけられ、
キリスト教からの転向を迫られる教父。
自分の信条にこだわるほど、
まわりの人が不幸になっていくという構図は、
小林多喜二の小説にもありました。
こちらはマルクス主義でしたが。
本書では、
先に転向したフェレイラ教父と、
セバスチャン教父の会話を通して、
日本人には、キリスト教の神を理解できない
ことが語られています。
「デウスと大日と混同した日本人は、
その時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、
そして別のものを作りあげはじめたのだ…(中略)
日本人たちは基督教の神ではなく、彼等が屈折させた
ものを信じていたのだ」
「日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。
人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だが教会の神ではない」
この点、もし機会が得られれば、西欧人に取材してみたいなぁ。
ま、もっとも、それだけの機会と語学力がありませんが。
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