評価:
クリスチャンのドフトエスキー評は、
おそらく、僕とは、まったく違うと思う。
きっと、聖書の視点からの批評をすると思う。
それでは、キリスト教を知らないと、
面白くないかというと、また、そうとも言えない。
劇画風のストーリィ展開が、とても面白い。
それと、追い込まれた人の心理や、
(アダムが知恵の実を食べて以来の)
人の理性による罪が、全編で描かれていて、
これらは、仏教徒の僕が読んでも、十分に面白い。
ストーリィは、
スイスに集まり夢想した奴らが、
郷土のロシアに帰ってきて革命を起こそうと企てる
物語である。
彼らは、革命の手はじめに、まず事件を起こそうとする。
その理由は、625ページのリャムシンの供述が分かりやすい。
「社会の基礎の系統的な震撼、
社会とその全根幹の系統的な解体のためです。
すべての人々に自信を喪失させ、全体を混乱状態におとしこみ、
このようにしてぐらつきだし、
病的に無力化し、冷笑癖と不信心に取り付かれ、
しかも同時になんらかの指導的思想や自己保存を際限もなく
貪欲に求めている社会を、
謀反の旗をかかげて一挙に手中に収めてしまうことです」
ストーリィもそうだが、この言葉からしても、
何かを連想させる…そう、「オウム事件」である。
偶然なのか? それとも彼らは、
実際に、この本をテキストにしたのか?
もっとも「病的に無力化し、冷笑癖と不信心に取り付かれ」という
部分は、いま日本全体を覆っている空気だけどね。
最後のスタヴローギンの手紙の一部も興味深い(P636)
「自身の大地とのつながりを失った者は、自身の神も失う。
つまり、自身の目的も失うという。何事も際限なく議論できるけれど、私の内部から流れ出たものは、なんらのおおらかさも、なんらの力ももたないたんなる否定のみでしかなかったのだ」
クリスチャンに会う機会があったら、
この言葉の意見を聞いてみたいなぁ。
ちなみに、上記の「自身の神」を「浄土」に変え、拡大解釈すれば、
仏教徒の僕にも、実感として分かるが。
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