グローバル資本主義の危機

政治・経済・ビジネス・科学
著者ジョージ・ソロス
翻訳大原進

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評価
コメント
 

スメルジャコフ [2007年04月01日(日)]

評価:


どうしたら、先が読めるのか。
参考までに、ミスター・ヘッジファンドこと、
ジョージ・ソロスの本を読んでみた。

当書の前半は、筆者の概念的・哲学的見解、
後半は、90年代後半のアジア危機について触れられている。

前者は難解だし、後者に関しては興味が薄い。
それと、(読みにくいところから、そう断定したのだが)
翻訳が良くないため、かなり忍耐を強いられる読書となった。

ただ、それにも関わらず、筆者の概念的・哲学的見解は、
僕にとって、重要なエッセンスが隠されている(序章〜第7章)

誤解や曲解も、理解のうちと割り切って、まとめてみよう。

ソロスの思想には、2つのコンセプトが底流に流れている。
まずは、カール・ホッパーの唱えた概念だ(fallibity)。

歴史的にみると、政治や宗教による絶対主義は、
理性こそが普遍的であると唱えた啓蒙主義に、
移っていった。

そして、啓蒙主義は、実社会で意識できないほど
現代社会に浸透していったのだが、このモードも終焉し、
現在は、新しい思想が求められている。

その問いに対して、ホッパーは、
完全な社会は存在しなという前提のもと、
不安定さの中で、限りなく改善を繰り返していく社会像を唱えた。

ソロスは、この概念を応用して、
社会の欠陥を仮説として立て、そこに投資した。
欠陥の仮説が正しければ、やがて、それは是正されるはずだから、
その時を見計らって、逆に投資を引き上げれば、
その利ざやが稼げるというわけ。

しかし、ここで疑問が生じる。
もともとホッパーの理論は、科学的手法なので、
何らかの定理があれば、それを使って、誰でも儲かるはずだ。
この問いに対して、ソロスは、もうひとつ違う概念を提唱する(reflexivity)

社会科学なら、事実を見つけて客観化できるが、
市場というのは、単に認識するだけでなく、投資家たちが
それぞれの思惑や希望を持って参加しているのである。

それでは、これを、どう見るかというと、
えーと、その先は理解できません。ヾ(≧∇≦)〃。


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すみません、取り乱しました。