評価:
どうしたら、先が読めるのか。
参考までに、ミスター・ヘッジファンドこと、
ジョージ・ソロスの本を読んでみた。
当書の前半は、筆者の概念的・哲学的見解、
後半は、90年代後半のアジア危機について触れられている。
前者は難解だし、後者に関しては興味が薄い。
それと、(読みにくいところから、そう断定したのだが)
翻訳が良くないため、かなり忍耐を強いられる読書となった。
ただ、それにも関わらず、筆者の概念的・哲学的見解は、
僕にとって、重要なエッセンスが隠されている(序章〜第7章)
誤解や曲解も、理解のうちと割り切って、まとめてみよう。
ソロスの思想には、2つのコンセプトが底流に流れている。
まずは、カール・ホッパーの唱えた概念だ(fallibity)。
歴史的にみると、政治や宗教による絶対主義は、
理性こそが普遍的であると唱えた啓蒙主義に、
移っていった。
そして、啓蒙主義は、実社会で意識できないほど
現代社会に浸透していったのだが、このモードも終焉し、
現在は、新しい思想が求められている。
その問いに対して、ホッパーは、
完全な社会は存在しなという前提のもと、
不安定さの中で、限りなく改善を繰り返していく社会像を唱えた。
ソロスは、この概念を応用して、
社会の欠陥を仮説として立て、そこに投資した。
欠陥の仮説が正しければ、やがて、それは是正されるはずだから、
その時を見計らって、逆に投資を引き上げれば、
その利ざやが稼げるというわけ。
しかし、ここで疑問が生じる。
もともとホッパーの理論は、科学的手法なので、
何らかの定理があれば、それを使って、誰でも儲かるはずだ。
この問いに対して、ソロスは、もうひとつ違う概念を提唱する(reflexivity)
社会科学なら、事実を見つけて客観化できるが、
市場というのは、単に認識するだけでなく、投資家たちが
それぞれの思惑や希望を持って参加しているのである。
それでは、これを、どう見るかというと、
えーと、その先は理解できません。ヾ(≧∇≦)〃。
|