評価:
網野善彦氏との対話が興味深い。メモしていこう。
紀元前3世紀から紀元後6世紀まで
約150万人が朝鮮半島や中国大陸から西日本に来ている。(埴原和郎説)
日本という国の名前は7世紀後半に決まった。
百姓イコール農民ではない。例えば漁民や手工業を営む者も百姓である。
だが、御維新のとき、日本の近代化を図るために、江戸時代は
農業社会というリクツを付けようと漁民等も百姓にカウントした。
実際、江戸時代の社会の実態は、かなりハイレベルな商工業、金融、
流通に支えられた社会であった。
古代国家や明治国家のように、
鎌倉幕府も海外の脅威(蒙古襲来)に対処するために、
国家統一を図ろうとしたが、地域の反発が強かった。
日露戦争に勝った勝ったと言っているが、イギリスとアメリカから見れば、
ロシアを押さえるために日本を使っただけである(イギリスとアメリカの
公債で工面している)。
内村鑑三は、日本人は鼻を高くしてはいけないと警告している。
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